昭和39年12月26日 夜の御理解



 先ほどあのう熊本から電話がかかってまいりまして、古賀先生のいとこに当ります博子さん。今年の春高校を出たんですかねえ。そのもう非常になんていうですか、もう霊徳にふれていくですね。もう御神夢なんかのはっきりしておること、頂くお知らせのはっきりしておること。例えばもう実にその鮮やかに椛目流に頂くんですね。昨夜もあんまり、もう不思議というよりも恐くなった。
 「先生、お願いお取次ぎ頂きます」というてから電話が掛って来た。人んどん話して言いなさんな。ほんなこってん言わんよちいってから(笑い)、言う様な事を頂いた、ね。あのう実際のうえに現れたりしておるわけなんです。そんで私し電話でその事を申しましたんですけれどね。今日ねあの桜井先生の奥さんが参って見えてから。
 もうほんとにもう不思議な、もう年末にどうにもこうにも、でけんて言いよった借金の事の、もうそれこそやのつきひのつき言われておったものが、この封筒に入れてから、そのお金をここに持ってきておりますもん。私はこれはもうお供えじゃないと思ったから、開けもしませんでしたけど、ここに持ってきておるんです。けどそれをまず一遍見て貰わなきゃ気がすまんのですね。
 おかげで支払いが出来る様なお繰り合わせ頂いたって言う訳なんですね。ほんとに神様の働きには恐れ入って、主人がもう私しがやりおる、神愛だ神愛だと。神愛と思うて頂けって言えたのがようやく少しづつ分かって参りましたっち言ってですね、今度はお菓子箱に、持ってきてそのお菓子箱の中に、「昨日今朝から、神様に頂いております、主人の頂いております事を先生にみて頂いて。
 御理解を頂いてきてくれという事でございましたから」と言うてですね。最近その私しが丁度霊徳にふれて、盛んに神様から色々とお知らせを頂き酔った様な、ような時代も通っておられるんですね。例えば神様が筆を持てと仰ったら筆を持っとく。いわゆるお筆先と言うやつですかね。もう自分で思いも無い事が書いてるわけなんですね。それでやっぱ二十枚ぐらいでしたでしょうかね、書いておられる。
 もうそれは、そのう今日古賀先生に私見せたんですけれど、これは久保山先生に見せてですね。その素晴らしさですね。もう字のかすれ具合。例えば用紙一枚に、そのう例えば「日月」なら「日月」と書いてある。またあのう「か」という字なんかが書いてあるんですね、一枚に。もうそのう大体字は上手じゃないですもんね、桜井先生は。それにそのうもう見事さ見事さ。
 なるほど神様が躍動して下さるよと言うてから、言うた事でございました、これはけれども、解らんものんどん言うてから、神様からこげんじゃったとどん言いだしなさんって言うてまあ話したことですけれども。そげん言うて今日、そのう見えたんですよって、であたしがその、桜井先生の奥さんにも言うた様に、こういうふうにして頂いておるともう、神様を身近に感じんわけにはいかん。
 あんたが場合でもそうじゃろがって。不思議な例えば中に、昨日確かにですね、薬指にいつも指輪をさしているっちいうわけなんですね。それが高々指に変わっとったち、朝目がさめたら。もうあの布団の中でもう強引に引っ張り出されたりその、だされたりその言う様な事がある。言う様な感じがある。だからもう怖くなったっちいうわけなんですね。けどもだからこそ、神様の良しにつけ悪しきにつけ神様の働きを身近にこの感ずる事ができようが。そこん所を神様の願い神様の目指しはそこなんだ。
 いつも身近に頂かせたい、頂かせておきたいと、でなかったら次の神様の働きができない。同時に神様がですね、例えば筆を持たせて頂けんじゃあ、自分な右に書こう左に書こうと思わんでもです、神様が自由自在に手をあやつって、一つの字を書かして下さる。もうまるっきり、あのオブジェふうの絵あの書道、今あんなのがありますですたいね。いわゆるその観賞する為の絵のような字です、そういう字です。もう書いてある。それがもうなんともいえん、その形式美というんですかね、もうなしてるんですよ。
 そう言う様な事によって、神様を身近に感ずる事ができると言う事。そこに次の神様の働きが働き、良い事になるのであるから。私共日々信心の稽古をさせて頂いてから、教えを行ずるという事は、行ずる事によって確かに神様の働きを身近に感じる事が出来る、体験、ね。神様のこういうお守り、こういう御守護の中にあるんだと言う事を、感じんわけにはいけません、ね。今日私午前中、昨日親先生、(小倉行き?)椛目の為にこころよくして頂いておりましたから、ちょっとお礼させてもらおう。
 お礼にでらせて頂かにゃならんと思うて今朝から参りました。まずあの私の考えとしては、あのう笠さんがいつも自動車でみえます。笠さんの自動車で行こうと思よ、思うておりました。所が神様はあの、小野の車で行けと仰る。おの小野病院の車です。そう言う所へ丁度小野先生がやって参りました。そればってからまあこれぶっつけ言うたってどんこんいかんから。
 そしたらまたそれは、あいあわせてその前後して笠さんがみえられました。笠さんは車で帰られる、たが小野さんは田主丸まで帰られるんだから、言うならば、笠さんお車の方がいいんですけども神様は、小野、小野の車とこういわっしゃる、頂くもんですから。ところがもうあたくしが言わん先に御祈念してからもう外に出よるから、しかし折角頂いとることじゃから。
 あのう神様頂きましたばってん、私しが申しませんでしたからもう帰ってしまいよります。けどもちょっとあの、今出てみてまだ車がおるごたる時には、神様から頂いておる通りにさせてもらいますからというて廊下へ出て「小野さんの車は」と私が言ったら、古賀さんが、こうやって自動車の鍵をあずかっちゃるわけですね、小野先生の自動車の鍵を。「小野先生おんなさいますよ」ち、ちから言うですもん。
 その鍵をあずかっちゃる。やけんこの鍵があるから自動車もここにおるというわけ。あぁやっぱ神様から頂いたとおりだなぁ。例えばここではです、あら私頂き違い致しましたかなぁと神様にこう思いをし、また申しあげたんですよ、ね。小野の車って。小野は帰ったんですから。だからこりゃ頂き違いしたかなとこう思うとり、その言いましたらなんと鍵は古賀さんに預けてあるっち。
 それから尾の先生にそう言うたら、「はっどうぞ私がお送り致しましょう」と、こういうわけなんですね。けどもあのう笠さんのほうがじつは運転も上手だしね(微笑)、なら笠さんが来とるけん、笠さんの運転であんたの車で行こうかと言うて、私しは笠さんの運転で、今日は行き戻りその、車でおかげを頂きました。もうこう言う事なんかが私しの場合はいつもなんですから、神様を身近に感じんわけにいかんのです、ね。
 神様を身近に感ずると言う事は、身近にいわば交流を感ずると言う事。そこからおかげを頂ける、ね。桜井先生の場合にもしかり、博子さんの場合にも同じ事。そういう特別の働きをもってですたい、愈々神様が自分というものをもう自由自在になさるんだと言う事。甘木の親先生じゃないですけれども、自分は操り人形であり、神様は操り師であるという。右の手を出せ左の手を出せと、もう自由自在に安武松太郎を操ってござって、ああゆうおかげを受けられたんですからね。
 操られる操られておるそこにです、神様の身近さ身近な神様をこれに感じる。人が百有難いと思うなら、成程千も二千も有難いというものが生まれて来る訳なんでしょう。そこを与えたいのが神様、ね。そういう場合においてでも、皆さんが矢張り教えを頂く。まっ椛目にしげしげとお参りさせて頂く事によって、生きた神様をこう目の当りに感ずる事が出来る。恐れ入るなぁ神様の働きとは、とこう言う訳なんですね。私し今日午前中ちょっと昨日も全部銀行にもっていっとった。全部銀行取りに来るんです。
 所が今日どうしても一万三千円お金を出さんならん事がでけたけさ、それで私しがあの、すぐ古賀先生に請求させましたら、一万一千円だったかね。ここであったのは。一万一千円あった。だから「古賀先生、あのうそこに幾らかお金があんならそれを貸してくれんの」っち言うたら、二千円ありますち。一万三千三十円必要なんですよ、お金が、ね。神様の今日は私し支払いよると言う事が、間違いない事だなぁと言う事が感じられる。昨日は税金の不足というてから、なんじゃった昨日8千円、「2千9百円(誰かが答えた)」、2千9百円、2千9百円で取り来たです。
 一方この昨日はあと何万かあったです。けどもその中に丁度、積み上げてある分も、百円札があるから、あたしは数えたら29枚ありますもん。これはまちごうてたんじゃろうか足らんじゃろうか、とあたしが思いよったんですたい。けどもまちごうとらんなら神様が働きよる。「ここの先生あたしが今2,900円っち言いよったけんあんた、数えてくれたっちゃね」っち言ったら「ううん」いんえいきなりこう置いてあるのが、矢張り29枚なんです、ね。
 成程こりゃまちごうとるから一遍調べてみろと言う事もなんもいらん、神様が払ろうて下さりよるんだから有難い。秋永先生がさあ善導寺行きますのに、お神酒の一本もっていかにゃいけませんち。そんなら白鹿を持って行きなさいと。私がお供えしよっちゃない、神様がお供えしござると言う事が分かる。さあ言うてから出すのと、今高橋さんが白鹿のお供えを持ってきたのが一緒だった。って言う様にです。もうそう言う事の中からいつうも神様を身近に神様の働きを感じん分けにはいかん。
 だから私は誰よりもおかげを頂くとこう思うのですよ、ね。ですから神様を何かの中に身近に感じれるために、様々な修行をさせてもらう、または教えを行じさせて頂く事によって、体験を頂いていかなければ、神様を身近に感じられん。真に有難いというものは生まれてこない。また真にあいすまんと言う事が出て来ない、ね。神様を身近に感じれれる修行をさせてもらわにゃいけんですね。
   おかげを頂きますように。